真庭で生まれた奇跡の味

岡本屋正凛堂 伝統と成り立ち

昭和初期
 久世で養蚕業を行っていた伴家が沖縄九州へ移動し事業に失敗
 移った山口県防府市で1代目伴千明が商いを始め、名家の製菓業に従事
 その後、空襲を避け真庭市禾津に帰省し和菓子製造を始める  屋号はおかのほんや
昭和25年頃
 鶏卵の流通・価格が著しく改善された頃よりかすてらの製造が主流になり湯原界隈で人気を博すが知名度は低かった
平成15年
 久世工場にて2代目瓜生倫子が事業を引き継ぐ。販路が広がり全国で有名になる  2009年、屋号をおかのほんやせいりんどうとする
1代目 伴千明・操夫婦
 昭和初期、伴家が山口県防府市でふうまん(夫婦饅頭)の販売で身を起こし、1代目伴千明が軍閥とのやり取りで製菓組合の権利を守った事に端を発し、地元の塩田王であった脇本家の製菓業に従事する事となった。
 店の名前は潮花堂 防府市のふるさと人物名鑑にて非凡な才を輩出した脇本家の製菓業にも触れられています。
 脇本楽之軒(わきもとらくしけん)の項より引用:
 脇本楽之軒は大正・昭和期の美術史家。本名・十九郎(そくろう)。明治16年9月、山口県佐波郡中関村(現防府市中関)に菓子商の長男として生まれました。
 こちらに出てくる菓子商が従業先で、千明は商家の主人とも親しく交流し、重要な役回りを任される事も多く、信頼の厚い間柄だった。楽之軒や陶芸家である甥の定三氏とも懇意であった。
 菓子商の主人にまつわる話:
 「腕に溺れた職人は必ず材料を減らそうとする」と言い、毎日菓子を改め、味の違いを言い当て職人を諫めた。些細な分量による味の違いも見破る非凡な味覚の持ち主だった。
 わずかな仕上がりの違いを主人が即座に見破るさまを間近に見ていた伴千明が生涯心に刻んだ教えとなった。千明は材料の価格は商品から見れば小さいので常に1段上の材料を使え、材料をけちるな、職人になるなと言っていた。千明の言葉は最終的に「むかしかすてら」の味に集約された。
 (実際、材料を減らす事で味が痩せ、昔からの評判を落とし廃業する店は多い。原価についての考え方は現在は必ずしも一般的ではありませんが老舗は工夫して味を維持しています)
 千明の作ったかすてらは潮花堂の主人に味見され「長崎でも東京でもない独自の道を行っている」と高評価を得たため、自信を得てかすてら作りを極めて行くことになった。多くのカステラは長崎風もしくは東京風のいずれかだったが、当店のかすてらはそのどちらでもない味の組み立てだった。
 一方、妻操は千明の作った調理法でかすてらを焼きましたが、膨らみを抑え、しっとりと柔らかい生地に焼き上げた家庭的な味わいで、その虜となった顧客は多い。未だに昔のかすてらが食べたい、お婆さんの焼いたかすてらが美味しかったという声が後を立たず思い出と共に愛着を寄せられている。
 このような顧客の声に応えるかすてら作りを継承し今日に至る。
楽之軒や跡を次ぎ勝坂焼きの陶芸家となった脇本定三とも親しく交流していた。千明は地元に共同窯を作り晩年陶芸を嗜みましたが勝坂焼き(萩焼)の土は山口から取り寄せていました。
2代目 瓜生倫子・正二夫妻
 製造販売の拠点が久世に移ったが、時代観あるかすてら作りは凡庸にならず、有名無名の二人の才が花開いた。2代目瓜生倫子は現代の流通事情に合わせて材料の見直しを始めた。材料を追い求める過程では価格に合わないなどの失敗もあったが、粉・飴を改良し、味を一段階上に引き上げた。この味が千明に絶賛された事で久世のかすてらの味の方向が定着していくことになった。電気釜購入の際、焼き方の指導に訪れた長崎名人が試食して「これは上品なかすてらだ」と驚いたと言う。
 倫子は印刷関連業務を行っていたため、化粧箱・包装・ラベルなどに改良を行った。また製菓資材を新しく取り入れた事でかすてらの仕上がりが美しくなった。
 折しも流行となった勝山お雛祭り、TV取材などで商品の認知が全国に広がり、近県遠方からの注文が殺到した。販路と認知が広がった事で二人の製菓業は多忙を極めたが、正二は効率化という概念を製造に取り入れ、多段階の工程表を作り、カッティングのための道具や製紙を固定する錘を作るなど安定して作業速度を上げるための工夫を行った。また、ともすればむらのある焼き上がりとなるかすてらの品質を維持するため試行錯誤を繰り返し製造数の拡大に対応した。
 1代目の製法にこの二人の努力が結晶したかすてらはむかしかすてらと命名されました。
正二は囲碁が強く推定六段真庭十傑、事業では電子化の功績でNTT本社社長表彰を受けた。倫子は洋裁にて文部大臣賞を受賞、写真活動ではJCA大賞受賞し東京で表彰を受けた。2022年ニコンプラザ大阪で開催された個展Circle Stories では閲覧者よりこんな写真は始めて観たとの熱狂めいた反応が寄せられ、施設側も「こんなに人が来たことはない」と言ったという。
岡本屋正凛堂
 正二が病に倒れ、2008年は事実上の休店状態となった。
 正二は亡くなりましたが、親族の支えもあって倫子は2009年に事業を再開、屋号を岡本屋正凛堂とした。
 新しく加わった職人により夏場の生地の改良や変わりかすてらの製造が始まり、本焼きかすてらシリーズが加わった。本焼きかすてらは銀座めざマルシェにも出品されたが、7F中四国九州フロアはカステラの激戦区にも関わらず発売と共に完売を果たした。京橋朝市では2時間で170本を売り上げ、多くの新しい顧客の心を掴んだ。中でも宇治抹茶有機99%チョコレートと生カカオ豆といった高難易度の材料を扱ったかすてらは岡本屋正凛堂でも最も美味しいかすてらとして仕上がり、その他の稀少材料を扱ったかすてらにはそれぞれの味にファンがいる。
 その後材料についての諸課題を切り分けるため、安心材料を重視したこしかたかすてらを完成。昔ながらの伝統製法で作った飴、国産の小麦粉と砂糖、国内養蜂業者から仕入れた添加物なしの蜂蜜、飼料も国産穀物だけを食べさせた鶏の卵を厳選して使用している。
 これら3種類のかすてらを極めた商売となり、今日に至る。